スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

康生、引退「本当に悔いない」…柔道全日本選手権

 ◆柔道全日本選手権 ▼準々決勝 ○高井洋平(合わせ技6分20秒)井上康生●(29日、日本武道館) 北京五輪男子100キロ超級代表入りへ、奇跡の逆転優勝を目指した井上康生(29)=綜合警備保障=は、準々決勝で高井洋平(25)=旭化成=に合わせ技で一本負け。3大会連続となる五輪代表と復活金メダルの夢を絶たれ、現役を退くことになった。シドニー五輪100キロ級で金メダルを獲得。世界選手権、全日本選手権をそれぞれ3連覇するなど一時代を築いた柔道家は、全日本の舞台で完全燃焼を果たした。

 こらえていた涙があふれた。閉会式後も鳴りやまない「康生コール」。

井上は畳を降りる際に深々と頭を下げると、大粒の涙がほおを伝った。「本当に幸せ者。『ありがとう』と声をかけられたけど、感謝するのは僕」。大会後「これからは指導者として、成長していきたい」と引退を宣言した。

 北京行きへ、優勝しかない状況で迎えた今大会。準々決勝の高井戦、旗判定目前の残り10秒で“伝家の宝刀”内またを仕掛けた。だが、待っていたのは相手の内また透かし。技ありを奪われそのまま抑え込まれると、もう抵抗しなかった。

 「自分の得意技は内また。それを返されたんじゃしょうがない」最後に選んだ技は、自身の原点だった。5歳のときに父・明さん(61)の内またにあこがれて柔道を始めた。五輪金メダル、世界選手権V3など、数々の栄光をつかんだ必殺技で、最後は散った。「出し尽くした気持ち。本当に悔いはない」。晴れやかな表情で畳を降りた。

 惨敗に終わったアテネ五輪からの復活を目指したが、昨年の世界選手権、今年2月のフランス国際で敗れ、北京は絶望的となっていた。フランス国際後には周囲に引退も漏らした。しかし、そこで思い出したのは「初心」。99年に亡くなった母・かず子さん(享年51歳)が、最後の手紙で残した言葉だった。「毎日自分に言い聞かせながらきた」。1月に結婚した亜希夫人(25)、そして父とともに、五輪にとらわれず、大好きな柔道で勝つことを目指した。

 05年1月に大けがを負った右大胸筋は「80%以上の筋力を出せない状態、と医師に言われた」(明さん)という。さらに同年6月、長兄・将明さんが急死(享年32歳)。身も心も傷だらけになりながら戦い続けた。思いは実らなかったが「何回もあきらめそうになったり、心が折れそうになったけど戦ってよかった」。関係者によれば、6月の実業団大会に出場する可能性もあるが、第一線からは退く予定。指導者を目指し、年内に夫人同伴で英国留学する。

 17歳で全日本選手権に初出場してから輝かしい栄光、そして挫折も味わった。日本武道館に響き渡る拍手に送られ、柔道家・井上康生が畳を降りた。

 ◆井上 康生(いのうえ・こうせい)1978年5月15日、宮崎・都城市生まれ。29歳。東海大を経て綜合警備保障入り。シドニー五輪100キロ級金メダル、99、01、03年世界選手権100キロ級優勝。全日本選手権は01年から3連覇。183センチ、108キロ。

 ◆亜希夫人「お疲れさま」 
○…夫の“ラス闘”を見届けた亜希夫人が「笑顔だから出し切ったんだなと。結婚して良かった」と語った。笑顔で夫を迎え「お疲れさまです」と握手。これからの人生に向け「2人で生きていきます」。報道陣には「スポーツ選手の奥さんは慣れてなくてすみません」と、会釈をして会場を離れた。

 ◆準決勝敗退の高井も「白紙」 
○…05年世界選手権無差別級銅メダルの高井は、準々決勝で五輪切符を争う井上に一本勝ち。井上得意の内またを透かし、引導を渡した。準決勝も鈴木から有効を奪ったが、2分36秒で小外刈りを食って、一本負け。「五輪に出たかった。選抜体重別で(初戦で)負けてから気持ちを切り替えてきたが、こんな結果じゃ…」。12年ロンドン五輪に向けては「分かりません」と、白紙を強調した。
(引用:ライブドアニュース)

tag : 柔道全日本選手権 井上康生

ソーシャルブックマーカー
イザ!ブックマーク FC2ブックマーク

Powered by SEO対策
カテゴリー
最近の出来事
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。